ああ愛あればこそ

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のせる料理に、

なやまない器は私のなかで優等生である。優等生の器は美しい。目でみても、登場シーンの多様性も、いつまでも優しく愛でることができる。

けれど、一癖があって「こーゆータイプの料理しか受け付けない」って器も、これまた愛おしい。フォルムの可愛さや野暮ったさ、見た目の存在感。優しく扱わなくても、ちょっとやちょっとじゃ壊れない鈍臭い感じもいい。


例えば一枚目のピンクとブルーの器は、エスニックとかアメリカンなぐちゃっとした料理が似合うと思う。

でも、きっと海鮮丼や筑前煮には似合わないんだろうな。


晴れた日の朝やランチ、パーティには合うけど、例えば恋人と2人のディナーには似合わない。少なくとも私の生活の中では。


器を選ぶ、という行為は、それにのせる食べ物への愛だと思う。

赤ん坊をのせる揺りかごのように大事な何かを包み込むように

プレゼントをつつむ薄紙のように、メインを引き立てる役割がある。


もし一流料理店で、真鯛のムニエル〜オレンジソース仕立て〜がプラスチックのカラフルなお皿でサーブされたら…どんなに料理がおいしくてもきっと私はがっかりするだろう。

(もちろんそれでもおいしいと思うけど。)


料理人の愛の分、器が存在するんじゃないかな。


つまり何がいいたいかと言えば、もう買わないと決意したのにまた器を買った私を自ら肯定しようと、

そういう話なのである。




*因みに余談だがタイトルがなんの歌詞か分かった人は、私の隠れた趣味にピンとくるだろう。



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